夜のチケット完売です。

夜チケット完売したらしい。この響き、よいなぁ。完売。。。寒気がする。

しかし唐突に言うが、「恋の話」いわゆるコイバナを話せる人間とそうで無い人間との歴然とした差は一体なんなのだろうか。ただ「差」と言っても、それは複雑に絡み合った中で忽然と浮かび上がってくる差のことであるけれど、僕個人的にその差は、人生の経験値とか重みとか、そういったヘイボンに生きるには一種煩わしい土俵での「自己満足思考推進派」の方たちと「自己否定再考建設科」の方たちとの死闘から生じる差違なのだと理解している。言っている私もチンプンカン。

20代前半、衝動的に精神分析をつまみ食いしてしまったあの瞬間から、人はコイバナと深層心理を強引に結び付けたがる。そして、判ったような顔をして「あぁ、このタイプは・・・」などと圧縮理性を装い、股間への血液の循環を逆流させようとする。解凍は深夜孤独に行なわれる。

性の話を明け透けに語り合えるのは、とても健全だと思う。昔、タバコ全般に興味を持って、チベット高山に住むおばちゃんたちが噛み煙草を嗜む事を知ったとき、何よりも一番僕が感動したのが、そんな寒い中噛みタバコする風情にでも文化にでも何でもなくって、むしろそういった環境で嗜好品を楽しみながらも、集まってお互いに話している内容が「嗚呼、最近エッチしてないねぇ 年ねぇ (笑)」とか「昨日は、4年ぶりに夫と燃えたわぁ だから今日は腰痛で寝込んでるみたい(笑)」とか、とてつもなく下世話な性の話であった!!!!という事実である。

だからなんなんだ!

弁明するように言うわけでもないのですが、霜寝た(趣きある誤植)を笑える人は、性欲処理に一度でも葛藤して何らかの決着をつけた事がある人なのです。そしてそれは、「勇気」ある行動なのです。私家版「我が闘争」的様相を称えていますが、このコイバナから下ネタへの跳躍は同時に、私の世間様軸に対しての「社交指数」を放物線を描くが如く下降させるでしょう。つまり私がエロくなればなるほど、世間様との接点は減少すると言う事です。モアエロ、モアロンリー。レスエロ、レスフレンドリー。モアロンリー≠レスフレンドリー。

最後は私の酔狂なアウフヘーベンでケツを取る。トリを飾る。ハナが散る。ヤブから棒。

じゃまた。